ヴッパータールという町をご存じだろうか。ドイツ国内で日本人在住者が最も多い都市,デュッセルドルフ市から約50キロ東へ行った古い町。町の東西を結ぶ交通機関としてモノレールが走っているドイツ唯一の都市ということもあり,ドイツ人には広く知られている。 そのヴッパータール市の隣町に引っ越したので散策に出かけた。旧市街といわれるルイーゼン地区に足を踏み入れると,そこの一角だけ戦災を逃れた古い建物が狭い道に並んでいる。時代が止まっていたようなカフェやクナイペ(飲み屋)は,昔住んでいた西ベルリンを思わせる雰囲気が漂っている。
そこで,せっかくだからヴッパータールのことでも書こうかと思い,市立図書館で本をめくっていたら町の有名人としてエンゲルスが出てきた。 考えてみるとドイツには多くの分野で近代の歴史に多大な影響を与えた人が多い。なかでも,カント,ヘーゲル,ニーチェ,ハイデッガーなどドイツを哲学の国として有名にした人たち。彼らを知らなくてもマルクス・エンゲルスなら,という人たちは結構いるのではなかろうか。興味もさることながら,長年ドイツに住み,しかも隣人がエンゲルス家となると多少は知っておかないと恥ずかしい。ただ,マルクス・エンゲルスの本を読み始めたのはいいけれど,いつものごとく結局頭に入らない。ドイツ語の能力不足を再認識しつつ,でも日本語でもあやしいだろうと不安になる自分の知力。まぁでも,彼らの思想は理解できなくても,歩んだ人生を想像できるだけでも今はいいだろう。
当時はヴッパータールという町はなかった。現在のヴッパータール中心街の周りにあった自治体のエルバーフェルト(Elberfeld)とエンゲルス家のあったバーメン市(Barmen)が1929年に合併してヴッパータール市と名づけられたので,エンゲルスが生まれ育ち,住んでいたのは,正確にはバーメンということになる。ところで,ドイツの町の名称には川が付けられていることが多い。ルール工業地帯のルールやデュッセルドルフ市のデュッセルもしかり。ヴッパータールもヴッパー川沿いの谷(タール)の町ということになる。
エンゲルスが生まれ育った19世紀中旬といえば,英国に多少遅れてドイツ国内にも鉄道が建設され始めた時代なので,マルクスが住んでいたパリにもエンゲルスは列車で会いに行ったかも知れない。 エンゲルス家はバーメン市では大きな繊維工場を営む名士だった。エンゲルスも経営を学び,父親の事業の関係で,英国のマンチェスターを度々訪れていたが,マンチェスターの労働者たちの貧しい生活ぶりを間近に見て心を悩み始める。そのような自分の経験を踏まえて書き始めているなかでマルクスと知り合い,共鳴を受けたのではなかろうか。 産業革命がどんどん進み,蒸気・電気エネルギー・交通機関の活用で社会の様子や人々の生活が急激に変わりつつあるなか,影の悲惨な部分について考え続けていた彼らではなかろうか。ドイツ重工業の中心地であるルール工業地帯には炭坑や製鉄所が集中しており,労働者の過酷な労働環境や悲惨な生活状況と共に,水や空気なども急激に急速に汚染し始めたことは十分に想像が付く。
一方の日本はといえば,西欧で始まった産業革命に追いつくためにいかなる開国と国造りを行うべきかという考えのみで,あらゆる知識人の頭はいっぱいだった。まだ明治維新前で,国全体,そして多くの国民が動揺していたであろう。資本主義という言葉すらなかったかもしれないし,社会主義もまだ生まれてもいないので,労働者という人々の位置づけなども考えたことすらいなかったかもしれない。そして周知のように,わずか数十年後には日本でも悪条件で働かざるを得ない労働者階級と共に社会主義という政治思想も入ってくる。 ただ,日本を代表する多くの超インテリたちが,江戸末期から明治にかけて,ありとあらゆることを先進国から学ぶために欧米諸国を何度も訪れているのに,大量生産社会の恩恵にあずかれない人々の生活環境や産業革命の功罪に気づくこともなく,すでに気づいている欧米の識者とも全く話し合うことがなかったことが不思議でならない。
欧州でも特にマルクスのような思想は危険視されていたので,広まらないように排除されていたとは想像できるけれども,資本主義は市民の生活を豊かにするという手放しの喜びからは少し立ち止まって考えるという姿勢は生まれ始めていたはずだ。 ドイツに住んでいるのに,これらのドイツの近代史を深く語れる知識も知力も僕は持ち合わせていない。ただ,大学卒業後まもなく満州の戦地に向かった亡き父の人生観や価値観に,最近とみに思いを寄せることが多くなった。寡黙な父は,戦時中のことだけではなく,自分が考えていることなどほぼ全く話すことはなかった。しかし,儒教的精神と天皇崇拝を頑なに保ち,最後まで真っ当に生きた(ように見えた)父には不動の道徳意識があった。同時に,戦後もずっと,開戦はやむを得なかったとし,南京虐殺なども信じられないといった風で,日本人は優秀民族だと度々口にしていた。読書はするし,田舎ながら会社でも一気にトップまで昇りつめた京大卒のインテリだ。しかし,我々こどもたちと話し合うようなことは全くなかった。そもそも夕食を一緒に食べたことなどほとんどない。